一緒言
死の近縁種族の研究において、個体発生の経路が単一かつ明確に特定できる例は極めて稀である。多くの近縁種族は「気づけば生態系の一部として存在していた」や「技術の進歩により、やっと人間の観測範囲に入った」というような、後追いの観測にならざるを得ず、発生機序の解明は永遠に手の届かない領域として当会内でも半ば諦められてきた経緯がある。
その点において、タナトフィリアという個体は例外的といえる。クリフォトの繁殖機能、稀人という媒介、破綻領域という舞台——発生に至る要素がここまで具体的に揃った近縁種族を、私は他に知らない。
二発生条件の希少性について
古い文献を参照するに、クリフォトの繁殖は「数世紀に一度」とされる。この頻度をどう解釈するかが、まず第一の論点になる。
私の見立てでは、これは単なる生物的な発情周期のようなものではない。
まずクリフォトの特性上、稀人という希少かつ抽象的な定義で存在する存在に固執して繁殖を狙うとは少し考えづらい。となると、「籠絡されるに足る条件」が存在すると考えるのが自然だろう。
「数世紀にも及ぶ繁殖周期」と「クリフォトが繁殖を望む何かの条件」。その二つから選び出されたのが、タナトフィリアの親個体である稀人なのだろう。そう考えれば、タナトフィリアの誕生は偶然の産物というより、非常に狭い条件が揃った末の必然に近いのではなかろうか。
もっとも、この仮説には反証材料が乏しい。
クリフォトが交配相手をどのような基準で選んでいるのか。……あるいはそもそも選んですらいないのか、という一次情報が、私達には一切もたらされていない。
正直なところ、これについてはロンドンの現地調査班にもっと粘ってもらいたいところである。筆者としては、いい加減に会長自身が【※個人を指定して私的な要求を強く求める内容※】というのが本音だ。
三「死んでいる」という正常状態について
生命活動を停止した状態を正常とする個体特性、これは既存の生物学的枠組みでは端的に破綻している。
私はこれを「死の克服」ではなく「死の内在化」と呼びたい。克服という言葉は、死という敵対的な状態を退けて生を勝ち取るという含意を持つ。だがこの個体は、死を退けていない。死をそのまま自身の基礎状態として組み込んでいる。
日本には「毒を以て毒を制す」などという言葉が存在するが、この個体はいわば死を"デフォルトの生態機能"として組み込んでいるのではなかろうか?
……毒を以て毒を制すとは言ったが、本個体は「毒」そのものである可能性が大いにある為、この例えは失敗であったと言えるかもしれない。
四人間的性質の獲得について
高い知性、倫理性、人間への友好的態度——これらの性質が、クリフォトという非人間的な死の近縁種を親に持ちながらどこから発現したのかは、実は私の中でも結論が出ていない。
ひとつの仮説として、稀人側の血統的影響を挙げることができる。稀人は理性を保ったまま裏ロンドンの濃霧に適応するという、それ自体が既に常人離れした精神的耐性を持つ人類種である。その気質が、"混淆"の過程で色濃く継承された可能性は十分に考えられる。
余談としてもう一つ、あえて私の直感に近い仮説も述べておく。クリフォト自身が————霧の外に出ることすら叶わぬあの存在が、人間という生態を模倣した個体を、無意識のうちに"望んだ"のではないかという想像である。
学術的な裏付けは皆無であり、同僚には一笑に付されるだろうことは重々承知している。普通に考えればこの事象の原因は「遺伝」や「変異」などの短い単語で説明が出来てしまう。しかし、こういった馬鹿馬鹿しい戯言が、時に真実に迫る手となると、私は信じている。
五結語
以上を総括するに、タナトフィリアという個体は発生場所こそ明瞭でありながら、その内実は依然として当会の理解の外にある。
友好的であるという観測事実と危険性が消失したという結論は、決してイコールでは結べない。
この点だけは、いかなる仮説を積み重ねようとも揺るがない筆者の結論である。
死の近縁種としての本質を、彼女は今も内側に抱えたまま生きている。
それを我々が忘れた時こそが、最も危うい瞬間になるだろう。
───────PS.追加情報が入り次第、この記事は更新する予定である。読者諸君、精々楽しみにしておくことだ。